カムカムエヴリバディ(12/9)

冒頭部分で、きぬちゃんの豆腐屋の明るく楽しそうな商売の様子が映り、それと対比するように暗い家の中で稔の写真を見つめる美都里さん、忙しそうに立ち働く女中の雪衣さんの姿が映し出されました。大阪へ行く前の安子は、女中さんたちと一緒に食事を作ったりして「働き者の若奥様」という姿を見せていましたが、今の安子は雪衣さんと一緒に立ち働くことはしません。

 

幼いるいの疑問、「お父さんを殺した国の言葉を、英語を、どうしてラジオで聴いているの」という言葉に答えることができなかった安子でしたが、進駐軍の将校であるロバート・ローズウッドさんに問われて安子は「英語を勉強することは、稔さんを思うことでした」と説明することができました。そして、英語を一生懸命に学んでいた稔さんがそれを生かすことなく戦争で亡くなったこと、彼が亡くなったのに自分は何故英語を勉強し続けるのか、why? と、逆にローズウッドに問うのでした。

 

安子は雉真の家では美都里や雪衣さんはもちろん、勇や千吉に対してもあまり自分の気持ちを言葉にすることがありません。何かをやりたい、これがほしい、のような要望を誰かに訴えることは殆どなかったように思います。幼い頃に兄の代わりに自分がたちばなを継ぐと言った時に、女の子はそんなことを考えなくて良いと言われ、自然と言わないことが当たり前と思いながら育ったのかもしれません。

 

多くの日本人にとっては「鬼畜米英」で鬼のような印象の米兵が、一人ひとりは家族の写真の横に花を飾ったり、日本の菓子を「おいしい」と言って食べる人間であること、日本人である安子の個人的な感情を受け止める心のある人間であること。言葉が通じる、そのことで目の前にいる米国人の思っていること、自分が思っていることを伝え合うことができるのです。

 

結婚が戦時中だったこともあり、自分にとって英語が稔さんを思い出す大切なものだということも誰にも言えずにここまできました。とうとうそのことを、ローズウッドに対して、英語で話すことができたのです。それは大事な思い出でもあり、稔を喪った悲しみでもあり戦争に対する怒りでもありました。涙が出ていることにも気付かず、英語で思いを話した安子。安子は何年もラジオで英語を学び、いつの間にかコミュニケーションのツールとしての英語を自分のものにしていたのです。おそらくラジオ英語が中断している間にも、稔が帰ってくる日のために心のなかでセンテンスを繰り返したり、稔の辞書で英単語を調べたりしていたのかもしれません。そのモチベーションは、稔への愛そのものだったのだと思います。

 

稔はもう居ないのに、稔は戦争によって命を奪われたのに、稔の命を奪った国の言葉なのに、安子は何故英語をもっと学びたいと思いカムカム英語を聴き続けているのでしょうか?

 

ロバート・ローズウッドは安子の問いに答えをくれるのでしょうか。